誰も君のことなんか見てない。
1. 衝撃的な一言
月に6本近くライブを重ねてお客さんも増えてきたときに僕はひとつ表現の壁にぶつかった。
50人くらいのファンとライブでどう対話していいか分からなくなったのだ。ぺらぺら喋ったり、どうでもいいことを繰り返していた。
ライブハウスのオーナーが撤収後に毎回アドバイスをくれるのだが、その日は僕のことだけを呼び出して、こういったのだ。
「誰も君のことなんか見てない。」
なんだか僕は衝撃的な一言を言われた気がして、何も言葉を返せなかった。お客さんは僕らバンドを見てくれている、フロントマンである僕も同様に見てくれている。
でも、君のことなんて見てないってどういう意味だろう。
(一部抜粋)
2. 「見られている」という意識に縛られる
(誰も僕のことを見ていないなら、もう自由にやってしまおう)
ライブではもう誰も見ていない、いつもとは違う等身大な自分でライブをした。
MCも別にしゃべらない。曲名もいわずに始める。なんだか物凄い解放された気分だった。
何よりお客さん一人一人が僕らの目を見て体を動かしてくれていた。
そのときの皆の表情を今でも僕は覚えている。100の目が僕らと通じている感じ。
これが初めて自分たちの表現が繋がった瞬間だと思った。
今まで「見られてる」なんていうどうでもいい意識が何かを演じさせていたのだと気付いた瞬間だった。
(一部抜粋)
3. 忘却と無視の繰り返し
アイデアを出すのが恥ずかしいとか、自分のデザインを見せるのが恥ずかしいとか、自分の夢を語ることが億劫だとか、何かにつけて自分という存在の見られ方を強く意識してる子が多い。
だから、僕は最初にこういう「誰も君のことなんか見てない。」
君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。
自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。
忘却と無視の繰り返しだ。だったら何したって怖くはない。
4. ビビるな
忘却と無視の繰り返しだ。だったら何したって怖くはない。
ただ自分の素直な表現や言葉を出せたとき、必ずそれを評価してくれる人がいる。通じる人がいる。
100回勝負して1回でも目を向けてもらえたら、君の勝ちだ。
1回も勝負しないでビビる必要はない。誰も君のことなんか見てないから、今のうちに自由に踊るべきだ。
5. 人はほとんど「見てない」
友達が昨日来ていた服装を覚えてますか?
昨夜食べたご飯はなんだった?お昼ご飯は?
意外と自分のことですら記憶にないはず。友達の服装なんて思い出せもしない。
でも、好きな映画とか、セリフとか、音楽とか、好きな子とか。
そういうのって鮮明に記憶してるよね。そのとき、あなたが本当に見ている時なんだと思う。逆にいうと人はほとんど「見ていない」。
これだけの人がいて、あなたのことに関して注目してます!なんて言う人は、いるわけがない。
誰もあなたに期待してない、誰もあなたを見ていない。冷たい言葉だと思うなかれ、これが真実だと僕は思う。
ただ、それを受け入れて素直に生きた人の方が純度の高い魅力的な人だと僕は思う。特に若い人は、もっと自由に動き回ればいいと僕は思いますよ。ものすごく素敵なことをしていたら、きっと誰かが見てくれています。それまでは自由に思ったことで勝負していくといいですよ。失敗の数だけ上手に踊れます。